LAGNATELA NERO

l'estate

それはとてつもなく危うい均衡で保たれていたのだと。気付いた時には、もうどうする事も出来なかった。
蜘蛛の糸に囚われたなら、例え兜虫だろうが逃げられはしない。



小さい頃、初めて行った東京のばあちゃんの家は下町にあって。
東京都とは名ばかり都心からは更に更に南、名ばかり東京都領の島で暮らしていた超田舎者にはまるで別世界の様だった。

たまに物好きなテレビカメラが遥々東京からやってくれば、島は老若男女問わず果ては漁師のお陰ででっぷり育った泥棒猫までもが騒ぎ出す有様。いや、マジで。


そんな田舎を揺るがすマグニチュード8、に、匹敵する大事件は梅雨明け十日目にも満たない初夏に起きた。


「─────はぁ?」
「はぁ?じゃないでしょ。あ、宮田ー、それダート」
「ふふん、外れ。立派な19だ」
「汚ぇ!ここぞと正直者めがっ」

気の知れた同級生、こんな島に学校なんか一つしかないのでつまり揃って幼馴染みだが。
その内の一人、古びた神社の息子である田嶋竜助の台詞に握っていたアイスバーを落とし掛けた。現在地は農家の息子である俺こと、森崎善弥の狭っ苦しい六畳間だ。

「トランプも飽きてきたね〜」
「負けたから面白くねーんだろ、お前」
「抜かせ」

自己申告型ブラックジャック、と言うローカルなカードゲームも二時間目、そろそろ昼飯前かと言う部屋に育ち盛りの高校生が四人顔を突き合わせると言うのは余りに暑苦しい。
省エネとか何とか、早い話は経済的理由から電力会社へ貢ぎたくないらしい母親の小言により、七月の夏休み目前と言う状況にありながらクールビズを余儀なくされた部屋には冷風扇一台、扇風機の方がなんぼかマシだと言う無慈悲さだ。
海沿いの暑さを舐めてはいけない。実際大学生の姉貴は、島の暑さに負けて船通学1時間の自宅から出てったんだから。今や電車とバスを乗り継ぐ一人暮らし中だ。
姉貴は現在三年生の二十歳だが、何の因果か今年の春から彼氏と離れ離れになってしまった経緯もある。交際二年目の悲劇だ。あんな女には勿体ない彼氏、他人事ではないからまた追々話そう。キーワードは、俺は毎日会えると言う事実。


それはともかく魔の日曜、クーラーなんか近所のラーメン屋くらいでしか拝めない有様だ。
拝めるだけで設定温度は高く、余りに切ない。


「だから、うちの島を舞台にしたドラマがあるんだってさ。CMやってんじゃん、『その時だけが全てだった』ってやつ」
「映画化も決まってんだって。ドラマと同時進行らしいよ、嫁に行った姉ちゃんが電話してきた」
「芸能人に会えるんだ、絶対普段帰って来ねぇ親戚連中が集まんぞ。盆もあるしな」
「で、どんなドラマなん?」

何事にもクール、と言うより無関心な近所で唯一のスーパーの息子であるインテリ眼鏡キャラ宮田豪以外の二人、坊主頭の田嶋竜助と、派出所で父親が働いているのに何故かリーゼントの田村健太郎が目を見開いた。

「どんな、って、だからCMでやってんじゃん」
「バラエティーでも番組宣伝してる俳優居るだろーよ」
「あー、善弥はあんまバラエティー観ないんじゃなかったか?」
「何だよ、タケは知ってんのか?」

愛称で呼べば、宮田がひょいっと眼鏡を押し上げる。こいつが良くやる仕草だ。

「知らない方が可笑しいくらいには、評判だがな」
「うっそ、マジでヨッシー知らないの?」
「うっせ、ヨッシー言うなっつってんだろ健太郎。殴るぞ」
「うっわ、今バキッつったよ!大丈夫か健太郎ーっ」

ゲラゲラ笑う田嶋を冷ややかに見下し、痛がる田村の潰れたリーゼントを横目に握ったままのアイスバーの棒をゴミ箱に投げ入れた。

「芸能人が来んのかよ、東京から。うぜ」
「一応、此処も東京」
「ちっぽけな島ですが」
「タケちゃん、故郷をちっぽけ言うのやめよーぜ。田舎者さが身に染みてくるから」

元々東京育ちの母親が居る俺と、仕入れとか何とかで店長の父親に付いて東京に行く機会が多い宮田は、自分の田舎者さを良く知ってる。
海と森くらいしかない島で出来る日曜日の過ごし方なんて、冷風扇を味方にトランプかゲームくらいだ。

「あちー。な、野球やんねぇ?」
「昨日サッカーやったもんなぁ。でも4人じゃ厳しくない?」
「泳ぎにでも行くか」
「良いけどさ、照り返しが暑いんだよなぁ。潜ってれば涼しいけど」

結局、クーラー無しの部屋より外で有意義に汗を流そうと言う意見で纏まった。
ご飯よー、と言う母さんに呼ばれて居間で素麺を啜った俺達は、真っ直ぐ学校を目指した訳だ。

「うわぁ、あっちぃ!」
「黙れ健太郎殺すぞマジで」
「ヨシー、洒落になってねぇから」
「心頭滅却しろ、二人共」

全く、青春とは忍耐力との勝負らしい。


「うぃーす」
「お疲れ様です」
「おー、また来たかタモリーズ」
「やめてよそのあだ名!サングラス掛けたくなるし」
「ギャハハ、健太郎がサングラスなんか掛けたら昭和のヤンキーだし!」

宮田、田嶋、田村プラス俺こと森崎でタモリーズ、これは小学校の頃からのあだ名だ。名付け親は豪快に笑い飛ばしてる用務員のおっちゃん。
公立が潰れた後、この学園に採用された用務員のおっちゃんに挨拶して、一応半寮制でもある学校のグラウンドで駆け回る。


元々島にあった学校は公立のボロい建物一つだったんだけど、一向に生徒が増えない少子化事情で取り潰され掛けたらしい。俺達が小学生になった時だ。十年前だな。
それを救ってくれたのが何処かのお金持ちで、全国各地で私立校を経営していると言う帝王院財閥。
取り潰され掛けたボロい校舎は新築ピカピカの小中高一貫になって、大学まで進めば本校に移る事も出来る。

但し学費も偏差値も競争率も半端無い訳だけど、小学生だった俺らは試験免除で入学して、島の人間は家から通う事を条件に公立校と同じ学費が許可されていた。
島の外から入学した奴らは揃って寮生活だ。
何はともあれ、お金持ちに敬礼。

入学式と卒業式くらいしか顔を見れない理事長はまだ若くて、聞けばまだ二十代だと言う。
遠目から見ても精悍な凛々しい理事長は、数少ない女子から人気を集めていた。本校の理事長は人間離れした超絶イケメンらしいけど、俺はうちの理事長も充分人間離れしたオーラを持ってると思う。

一度だけ、中学に上がった頃か。
宿題忘れて、俺と田嶋と田村が先生から花壇の手入れを押し付けられた時だったと思う。

何の用があったのか、たまたまやって来ていたらしい理事長が偉いなと言って笑った。凄まじい笑顔だった。皆の腰が抜けるくらい。
笑わなければヤクザ映画に出てきそうな凛々しい顔が、とろけるくらい甘い恋愛映画に出てきそうなイケメン俳優に変わるのだから侮れない。
ちゃんと宿題を持って来ていた宮田も、パックジュース啜りながら付き合ってくれていて、いつものクールな顔がぶっ壊れていた気がする。
とにかく、遠野理事長の微笑は凄かった。そりゃ女子が騒ぐ訳だ。


「ちっ、竜!ケンを止めろっ」
「わっ、汚ねぇぞ健太郎!オフサイドだろうがっ」
「4人サッカーにンなもんあるかー!タケちゃんっ!」
「健太郎、パス」

ゴールポスト前で悠々自適に待っていた宮田の足にボールが渡り、楽々ゴール。
ああぁ〜と崩れ落ちた田嶋の尻を八つ当たり上等で蹴り付けて、コート脇に置いていたミットを掴んだ。

「ヤメだヤメ。サッカー終了、次チーム交代して野球やんぞ」
「だから4人で野球は無理だってヨッシー、鬼ごっこにしよーよ」
「仲間集めるにもよぉ。寮の奴ら、休みだっつーのに勉強ばっかで話し掛け辛いしなぁ」
「球拾いも面倒だな、4人だと」
「ちっ」

あー、と座り込み、Tシャツを掴んでパタパタ仰ぐ。グラウンドは果てしなく暑い。
一歩でも校舎に入れば涼しいけど、制服着用義務があるのかないのか、寮生の奴らは揃って制服姿で中々に入り辛い訳だ。

「まだ2時間も経ってねーじゃんよ」
「熊店でアイス買おっか」
「サクランボのお好み焼き食いたいー」
「素麺じゃ確かに腹が保たないな」

退屈と空腹に餓えた4人が何やら騒がしい校庭に気付いたのは、その直後。
自前のミットを小脇に、バットでミットを皿回しの様に弄んでいた田嶋とたべりながら、駐輪場に止めていた自転車を取りに行った時だ。田嶋のチャリに乗ってきた田村と、俺のチャリに乗ってきた宮田は既に校門で待っている。


「それでは宜しくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ。東雲会長には何卒宜しくお伝え下さい」
「はい、確かに」

スーツ姿の大人達が、頭一つ背が高い男にペコペコ頭を下げているのを見た。何とも無く隠れながら、隣の田嶋を見やれば余り身長が変わらない田嶋が何処となく目を見開いている。
散り散りばらばらに居なくなった大人達を見送りつつ、こちらからは背中しか見えない長身の男が振り返り、サングラスを押し上げる光景。

何故か薄く笑った様に見える唇を見つめ、踵を返し去っていく背中を見送った。


「今の校長だったよな」
「理事長は居なかった」
「理事長にしか興味ねーのかヨシは。こっちから背中しか見えなかった奴、善弥知ってる?誰かに似てる気がしねぇ?」
「いや、知らん」
「だよな。ヨシはマジで人の顔覚えねぇもん。島の奴しか覚えらんねーんじゃ?」
「失敬な、姉貴の彼氏は覚えてる」
「そら担任だからな!」

ケラケラ笑う田嶋の尻を蹴り付けて、大袈裟に痛がる幼馴染みにふんっと鼻を鳴らした。
焼け付く炎天下の午後、流れる額の汗をそのままに。



「ヨッシー、リュー!遅ぇよ!」
「待ちくたびれた」
「悪ぃ、竜がウンコしたいっつーから」
「ヨシのばかんっ!」

まだ自由だった頃。
まだ囚われる前の、鮮やかな日々。


「なぁ、かき氷食いに行こーぜ」

頑ななまでに。
この世界に、自分以外の主役なんか居なかった頃の。




うだるような夏の始めの話。


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l'estateレ エスターテ:夏
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.