「何やの、相変わらずつまらん顔しよってからに」
歳の離れた兄曰く、俺ほど面白味がない人間も珍しいそうだ。
生まれる前には既に家を出ていた彼の記憶は殆どない。全寮私立を経て、大学は県外、卒業と同時に就職した兄と二人でゆっくり会話したのは、俺が高校を卒業してからだ。
手が届かない人の様に思っていた。
安いTシャツにジーンズと言う出で立ちで尚、覇者の貫禄を知らしめる兄が。
富豪と称される家の跡取りとして生み落ちた彼を、兄と言う名ばかりでまるで他人の様に。
思っていたのだ。
「芸能界っつーのは煌びやかな世界やろ?もうちょい愛想良うせなあかんとちゃうんか」
「…カメラの前以外で笑う必要はありませんよ」
「職人気質っつったら聞こえがええな、恭」
だから。
弟と言う名ばかりの俺は、なのに昔から一緒に暮らしていたかの様な気安さで話し掛けてくる彼が、煩わしかった。
「お前、苦しくないのか」
不相応な訛りを取り除けば、彼は俺とまるで同じ、いや、それ以上に愛想がない。
「何が苦しいと仰いますか?後継者の兄さんに比べれば、自由に振る舞う事を許される俺はとても幸福者ですよ」
「模範回答、99点だ」
「有難うございます」
「可哀想だな、お前」
ヘラヘラ笑っていた筈の口元から放たれる静かな声音を、ただ。
「家の中や俺の前まで自分を偽る必要はないのに」
「偽ってなどいません。…これが俺です」
「はぁ。…頭が固い奴っちゃな、お前は」
ただ。
他人事の様に聞いていただけだ。
灰色の世界に気付いたのはいつ。
世界に艶やかな色が着いたのはいつ。
もう、呼吸の方法さえ思い出せない。
もう、一人で生きる方法など忘れ果てた。
「善弥」
きっと、お前は自分を被害者だと思っているのだろう。
「…お帰り。今夜は早かったな」
「残念ながら、午前を回ってしまったけれど。待っていてくれたの?」
「…別に。雑誌見てただけ」
きっと、お前は俺をとても酷い人間と思っているのだろう。
可哀想な自分、と。
なんて酷い男だ、と。
「疲れてねぇみたいだな」
「善弥の顔を見るだけで、疲れなんか吹き飛ぶ」
「はっ、キザなこと。…流石人気俳優さん」
心の中で蓄積していくフラストレーションの捌け口を探し続けて、憎い男へ腕を伸ばす事しか出来ない。
「なぁ、…しようぜ」
「珍しいね、君から誘ってくれるなんて」
「良いだろ、別に」
「光栄の余り眩暈がするよ」
「はっ」
被害者のお前は酷い男に抱かれて一時の安息を得るだろう。溜まり溜まったフラストレーションを精と共に吐き出して、そうしてまた、被害者の仮面を重ねる。
憎い男から抱かれたフラストレーション、憎い男に縋るしかないフラストレーション、可哀想な善弥、こんな狭い世界に閉じ込められて。
「可愛い、善弥」
「目、腐ってんじゃねぇの」
「俺を咥えてる此処も、ぴんと尖った厭らしい乳首も、火照った頬も欲情した瞳も、全部可愛い」
「…ほざけ」
「強気な所も良いね」
「変態が。ちっ、…これ以上デカくするなら喰い千切るぞ」
「可愛過ぎる善弥が悪い」
きっと、いつまでも俺はお前の中で犯罪者のまま。きっと、世界の終わりが訪れようと。お前の心が手に入る事はないのだろう。
「よしや」
真の被害者はどちら。
一人で生きてきた男を捕まえたお前。
死ぬまで流される様に生きただろう男を犯罪者にしたお前。
灰色の世界に色を着けたお前。
一秒毎にキャンバスを埋め尽くしていくお前。
本当に可哀想なのはどちら。
(兄の声を思い出した)
(可哀想な俺と)
(可哀想なお前)
(どちらが真実か、答えはない)
「愛しているよ」
「…聞き飽きたっつーの」
お前の世界はきっと、灰色だろうけれど。
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grigioグリージオ:灰色