LAGNATELA NERO

la volpe

その男は何の前触れもなく現れた。まるで狐の嫁入りの様に降り始めた霧雨、海沿いの天気は女心より変わり易いと言った町内会長のじいちゃんを思い出して眉を寄せる。


「お前が森崎善弥?」

すらっと高い身長、無駄に細い腰には竜助が好きなブランドの何とかって言うゴツゴツしたバングルが見えた。手首にもきらりと煌めくメタリックイエローのブレスレットバングル、ダメージ加工済みのジーンズに同じデニム系のブーツ。ヒールは殆どない。
つまり目前の男は騙しなしでその身長なのか、と。半ば嫉妬する気も起きず関心していれば、


「ふっつーだねえ、どっから見ても。ああ、…頑張って尖ろうとしてる意気込みは30点かもー」

クスクス笑う唇に鼻白む。
お堅い他県のクラスメート達とは違い、生粋の島育ちである俺はお世辞でも真面目とは言えない。制服を着崩すのは呼吸と同じくらい日常茶飯事、テスト赤点ギリギリなのは最早母ちゃんすら諦めてる。いわゆる不良だと言うつもりはないが、端から見たらそう見えるのかも知れない。
いや、本当は。近所の悪餓鬼共に尊敬の目を向けられたり、ツッパリに憧れる田村から慕われたりするのは悪い気がしない。何処か自分でもヤンキーを気取っていたのだろう。

「何でテメーにンなこと言われなきゃなんねーの。つか初対面だろ」
「あは、大人に対する言葉遣い減点ー。でもねえ、お兄さんは大人だから怒ったりしないにょー」

巫山戯けた喋り方に若干イラっとしながら、何で霧雨の中こんな男に足止め食らってるのかとズボンのポケットに手を突っ込んだ。
体格差は歴然だが、体育だけは毎回5の俺が負ける気はしない。ただ、敢えて相手にしないだけだ。

嫌味なサングラスを押し上げて、ヘラヘラ笑う口元。興味を失った様に目を逸らし、何で俺の名前を知ってるのか疑問を残しながら男の横を通り過ぎれば。
そんなに強くない力で掴まれた腕。なのに振り解こうにもびくともしない。何だ、コイツ。


「何でキョウがこんな奴の為に此処までするのか知らないけど」
「何…?」
「面白そうだからー、楽しませて貰うねえ」

ぱっと手を離した男の逆の手がサングラスを握り潰す。


「精々頑張って?」


何処かで見た事がある気がした。
この辺りではまず見られないだろう凄まじい美貌が網膜に、笑っていた唇とは真逆に笑っていない目が貫く。体の奥深くを。



霧の様な雨が降っていた。
西の海の上の雲間から差し込むオレンジの日差し、エンジェルラダーがキラキラ大気を照らしている。
ぐぅ、と。小さく鳴いた腹を抑えて、そう言えば腹が減っていたんだと今更思い出す。



「何だったんだ、あれ…」


まるで狐に化かされた様な夕暮れ時だった。



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la volpeラ ヴォルペ:狐
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.